操縦席の窓から(一般公開用)
操縦席の窓から

運動会の思い出
2021.07.08

追憶

私の出身大学では、毎年初夏に運動会が開かれていました。
慈恵医大に入職してから周囲の方にこの話をすると、「大学で運動会? 噓でしょ?」みたいな反応が返ってくるのですが、本当なんです。
朝から夕方まで丸一日かけての運動会があって、前座は1年生~6年生の学年対抗で、本番は医局どうしの“ガチ”の争い。
どれくらいガチかというと、運動会に勝つためにその時期の人事配置を調整したり、関連病院に出向している医局員が当日は必ず運動会に参加できるように医局長から協力要請をしたりというレベルで、大昔には運動会で失敗した医局員が遠くの病院に飛ばされた、なんて逸話もあったそうです。(真偽は定かではありません。)本気を出しすぎて、整形外科の先生が転倒して骨折したという伝説も。
運動会が近づいてくると、夜な夜なキャンパスの中でバトンの受け渡しやムカデ競争の練習に励む先生達の姿が見られたものでした。もちろんリレーやムカデ競争だけではなく、10km近い距離を走らせるマラソンがあったり、仮装のパフォーマンスを競わせたり、競技が目白押し。
運動会当日は医局ごとにスタンドが立てられ、医局員、コメディカル、家族が集って、バーベキューを楽しんだりしていました。

学生は自由参加で、有志の運動好きのクラスメイトが参戦するだけでしたが、5年生が会全体を運営するならわしとなっており、私はその時に一度だけ参加しました。

私は審判をしていたのですが、先生方の勝利にかける思いが熱すぎて、目が点になりました。コーナーを曲がるときに〇〇科のランナーから進路妨害を受けた、君たちはいったいどこを見ているんだ、と、判定のやり直しを求められたり。競馬の「●●号の進路が狭くなったことについて、審議をいたします。」じゃ、ないんだから・・・
運動会のクライマックスは「医局対抗リレー・壮年の部」。教授・准教授・講師クラスの上級スタッフがランナーとなり、当然アンカーは教授。衆人環視の中で露骨に順番が決まるわけですから、力が入らないわけないですよね。

競技や応援、打ち上げを通してスタッフどうしの絆は強くなるでしょうし、何よりも体を動かすことは良いことではありますが、今振り返ってみても、慈恵医大には運動会というイベントがなくて、本当によかったです。(笑)

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