操縦席の窓から(一般公開用)
操縦席の窓から

重大インシデントからの学び
2021.07.25

随感随筆飛行機

我が国には運輸安全委員会(JTSB:Japan Transport Safety Board)という組織があり、航空・鉄道・船舶に関わる事故と重大インシデントの原因究明を行い、再発防止に向けた取り組みを行っています。調査報告書は運輸安全委員会のホームページで公開されており、非常に精緻な文章で事実認定と考察がなされています。本日はその中から私たち医療従事者にとっての学びにもなりうる一例をご紹介させていただきます。

航空重大インシデント調査報告書(2009年1月23日)

これは2008年2月16日に新千歳空港で発生した事例で、羽田行きのJAL502便が直前の着陸機(JAL2503便:関西→新千歳)が滑走路から出る前に無許可で離陸滑走を開始、気付いた管制官がJAL502便に停止を指示し、あやうく両機の衝突が免れたというものです。

滑走路上で航空機同士が衝突した事故にはテネリフェ空港ジャンボ機衝突事故(通称:テネリフェの悲劇 参考:Wikipedia)というものがあり、あともう少しタイミングが遅ければ大惨事も免れませんでした。

以下にアウトラインをまとめさせていただきます。

〇JAL502便は訓練生の副操縦士昇格訓練を実施しており、指導教官の機長(58歳)が操縦を担当、訓練生(27歳)が副操縦士業務を担当。機長の総飛行時間は14391時間、訓練生の総飛行時間は352時間。両社の年齢と経験には大きな差があった。副操縦士(32歳)はオブザーバーとして機長と訓練生の業務をモニタリングしていた。

〇当日の新千歳空港は降雪による悪天候のため、機長に心理的な負荷がかかっていた。
・スポットからの出発が50分遅延し、滑走路に入るまでにも通常よりも長い35分を要した。
・翼面の防除雪氷液の有効時間が迫っていた。(有効時間を過ぎれば一旦戻って作業のやり直しを要する)
・悪天候のため通常より実施すべき手順が多い上に、訓練生の教育・評価も必要
・視界不良かつ、降雪により滑走路面が滑りやすい状況
・自機が離陸する滑走路には後方から後続機が着陸進入中であり、早く離陸する必要性を感じていた。

〇管制官も悪天候のため通常より煩雑な管制業務を強いられており、さらに到着機が迫っていることに焦りを感じていた。JAL502便に迅速に離陸できるように備えさせるため、
「JAPAN AIR 502, EXPECT IMMEDIATE TAKEOFF, TRAFFIC LANDING ROLL AND INBOUND TRAFFIC 6 MILES」
(日本航空502便、迅速な離陸を予期せよ。航空機が着陸滑走中で、到着機が6nmにいる。)
と通報した。

〇本来“TAKEOFF”という単語は離陸許可ないし取り消しにしか用いない用語であった。(機長は後日の聞き取りに対して、TAKEOFFの代わりにDEPARTUREという単語が使われれば動き出すことはなかったと回答)

〇管制官のの単文には3機分の情報が含まれ、かつ会話のスピードが通常の1.5倍以上速く、聴き取りにくかった。管制官は情報提供の目的でこの通報を発したが、機長も副操縦士もこの通報自体が余計だと感じており、シンプルに離陸許可のみを発出してほしかった。


〇機長は管制官から次に来る通報は離陸許可であろうと予期しており(構えの心理状態)、「TAKEOFF」という言葉に反応して離陸滑走を開始。管制官の発した「EXPECT」という言葉は聞こえていなかった。

〇訓練生は管制官からの通報を復唱するべきところ、「ROGER, JAPAN AIR 502」とのみ答えた。訓練生も「TAKEOFF」の手前に「CLEARED FOR」の(許可する)の言葉がないことに引っかかりを感じていたが、機長に確認できなかった。その心理的な背景として以下のようなことが考えられた。

・機長が離陸操作を開始したことにより、受領した通報が離陸許可でないことへの自信が揺らいだ。
・運航経験が機長に比較して極めて少ないことを認識し、機長への依存があった。
・機長から評価を受ける立場であったことから、機長が開始した離陸操作に対して副操縦士としての業務を遂行しようとした。
・機長の離陸操作が迅速で、時間的な余裕がなかった。
・管制へ「ROGER」と回答したが、機長と副操縦士から何も指導がなかった。
・機体が離陸滑走を始めた後に停止を求めることに大きな心理的抵抗があった。

〇副操縦士も離陸許可がないことに気付いていたが、「IMMEDIATE TAKEOFF」という言葉が気になってしまい、指摘する前に機長が離陸滑走を開始。訓練生の「ROGER」という回答は聴取できておらず、機長が自分の判断のみで迅速に離陸操作を開始したため、疑義を反芻しながらも、後続機が接近していることを認識し、機長と訓練生による運航を阻害しないようにしているうちに時間的余裕がなくなった。

この事例は私たち医療従事者にとって、非常に示唆に富んだものだと思います。
医療安全教育の場ではハインリッヒの法則がたびたび登場しますが、まさに一つの有害事象には様々な背景因子が複雑に絡み合っていることを思い知らされます。

ここからの学びを私なりに簡単にまとめると、

負荷がかかった状況では「構えの心理状態」となり、都合の良い情報を採用しがちになることを念頭に

・必要な情報のみを簡潔に伝える

・紛らわしい言葉を使わない

・疑問に感じたことはしっかり確認する

・指示は正確に復唱する

・経験年数や立場によらず、常にお互いが気付いたことを指摘しやすい雰囲気づくりを心掛ける

ことなのかなと思います。

当たり前のことばかりですけど、これも医療安全でよく言われるABC、

A:当たり前のことを

B:馬鹿にしないで

C:ちゃんとやる

ことで、明日の医療をもっと安全にできるのでしょう。

大阪・伊丹空港にて
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